東京

東京都(とうきょうと)は、日本の首都機能がある東京を管轄する地方自治体である。

人口は1246万3942人(2005年1月1日現在)。日本の政治、行政、経済の中心。1943年に東京都制(昭和18年法律第89号)が施行され 、東京府と東京市を統合した形で成立した。その後、地方自治法が施行されたために東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称は引き継がれ、現在に至っている。東京都は府県相当の機能と、23の特別区(東京23区)の区域における市としての機能とを併せ持つ、広域的地方公共団体である。日本の都道府県では人口が一番多い。

なお、旧"東京市"に該当する現東京23区を都内、それ以外の市町村を都下と表現することがあるが、たとえば県内と県下が同じ意味であることを考えると、おかしな表現である。また、市町村の住民には「都下」という表現を嫌う傾向がある。

歴史

現代の東京都の領域は古代の武蔵国多麻郡、荏原郡、豊島郡と足立郡の一部及び下総国葛飾郡の一部に相当する。近世初期に隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が武蔵国葛飾郡として編入された。武蔵国は現代の東京都だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む大国であるが、国府と国分寺はそれぞれ現在の東京都府中市と国分寺市にあった。古代の武蔵国は東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。

延喜式神名帳には足立郡に氷川神社(名神大社)、多磨郡に小野神社(一ノ宮)、阿伎留神社、青渭神社などが見えるが、後世武蔵国総社とされた大国御魂神社や東京の神社として著名な神田明神、日枝神社の名は見えない。

かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(現・狛江市周辺)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人にまつわる伝承は多い。武蔵野の開発は渡来人の灌漑技術によるところが大きいとされる。

中世には武蔵七党と呼ばれる武士団が興り、関東に進出した畿内(関西)の河内源氏の家人となった。源平合戦では豊島氏、足立氏、葛西氏らが活躍している。12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。14世紀には新田義貞が鎌倉幕府軍を破った分倍河原の戦いが名高い。

戦国時代には扇ヶ谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵の掌握に力を注いだが暗殺され、小田原城を拠点とする後北条氏が武蔵に進出する。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城を築き西方の甲斐国の武田氏に備えた。その北条氏も豊臣秀吉の小田原攻めによって滅び、三河国の徳川家康が関東に転封、江戸城に入る。やがて関ヶ原の戦いに勝利した家康は江戸に幕府を開き、ここに首都は京都ながら江戸は日本の行政所在地となる。(江戸時代)


東京タワーと増上寺1867年徳川慶喜が大政奉還を行うと、翌年江戸は東亰(のちに東京)と改称され、1869年明治天皇が皇居(旧・江戸城)に入ると名実ともに近代日本の首都となった(しかし、首都を京都から東京へ移す遷都令は無く、東京を首都とする法的根拠も無い)。全国から新政府に仕える人々が集まり、多くは皇居周辺(後世の山手線内側)に住んだ。これが山の手族の起源である。また築地には外国人居留地が設けられ、銀座には西洋風のレンガ街が作られて文明開化が進んだ。

大正期に入ると東京市への人口流入はさらに進み、1920年の人口は370万人になったが、1923年関東大震災に襲われ、特に下町が大打撃を受け、一時、大阪市の人口が東京市を抜く。

その後、第二次世界大戦末期の東京大空襲によって市街地の大半が焼け野原となった。しかし東京オリンピックによって戦後復興は終わりを告げ、東京は高度経済成長のなかで新しい日本の政治・経済の中心として大発展を遂げる。1980年代後半にはバブル景気によって異常な地価高騰に見舞われた。1991年には新宿に都庁新庁舎が完成し、東京の新たなシンボルとなった。その後はバブル崩壊が進み経済は低迷。 しかし、1999年の石原慎太郎都政発足以降、品川、丸の内、汐留および臨海地区などの再開発がめざましく、知事の東京至上構想や、I LOVE NEW TOKYOプロジェクト立ち上げなど、超過密都市でありながら尚も活発な経済活動を示唆している。